小さな大横綱、そして「ウルフ」の愛称で知られる
元横綱の千代の富士(九重親方)が、7月31日に
すい臓がんのために61歳でこの世を去りました。
小柄な体で大型力士を次々と倒し、昭和から平成にかけて
相撲界に新しい風を吹き込んだ千代の富士。
そんな千代の富士のこれまでの軌跡を振り返りたいと思います。
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昭和のウルフは相撲嫌いだった?
千代の富士(本名:秋元貢)は1955年、
北海道松前郡福島町で漁師の家に誕生しました。
幼いころからの漁業の手伝いで鍛えられた足腰のおかげで
中学校のころには走り高跳び・三段跳びの地方大会で優勝。
運動神経が抜群な少年でした。
相撲は最初は興味がないどころか嫌いであり、
中学1年生のころ盲腸の手術を受けた際に麻酔が切れても
耐え続けたその根性に才能を見出した病院長が
若狭竜太郎に連絡。
連絡を受けて九重(千代の山)が直々に勧誘に来ますが、
本人は乗り気ではなく一度は断ったものの、「一緒に
東京に行き入門するなら飛行機に乗せてあげる」との言葉に
誘われて九重部屋への入門を決意。
1970年、15歳の時に9月場所で本名のまま初土俵を踏み、
翌場所では「大秋元」へ改名。
「千代の富士」となったのは1975年1月場所の事でした。
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横綱昇進、そしてウルフフィーバーへ
初場所から11年がたった1981年、千代の富士は横綱へ昇進。
身長183cm、体重125キロ程度と小兵ながらも
並みいる大型力士を次々となぎ倒し、一世を風靡しました。
鍛え抜かれた腕力を生かした上手投げ「ウルフスペシャル」を
武器に史上3位となる31回の優勝を記録し、さらには史上2位の
通算1045勝と数々の記録を打ち立てた千代の富士。
1989年には大相撲界から初めて国民栄誉賞を受賞しました。
そして1991年に現役を引退。
引退理由は「体力の限界、気力もなくなったため」。
引退・断髪式では親方である北の富士が止め挟みを行いました。
引退後は日本相撲協会理事を務め、1992年4月から
九重部屋を継承して親方へ。
昨年2015年5月31日には還暦の誕生日前日に
両国国技館で「還暦土俵入り」を披露しました。
露払いを日馬富士が、太刀持ちを白鵬が務めています。
がんで手術を受けていたことを告白
引退後は館内で無気力相撲の有無をチェックする
監察委員の仕事についていた九重親方ですが、
昨年7月の名古屋場所を内臓疾患のために休場。
9月場所で復帰しましたが、その際にすい臓がんが見つかり
手術を受け1か月入院していたことを明かしました。
その時には早期発見だったため大丈夫だとの話でしたが、
今年2016年に入って再発。
胃や肺などにも転移が発見され、体重は激減。
7月の名古屋場所4日目からは体調不良で休場していました。
そして7月31日、入院先の病院で息を引き取ったことを
娘の秋元梢がツイッターで報告。
今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました。
最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました。
今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。
父の娘に生まれて、幸せです。
秋元梢
— 秋元梢 (@Akimoto_Kozue) 2016年7月31日
病魔に蝕まれ、61歳というあまりにも早い別れとなってしまった
昭和の名力士・千代の富士。
ご冥福をお祈り申し上げます。