5月12日、多くの映画作品を手掛けた日本を代表する演出家
蜷川幸雄さんが多臓器不全のためこの世を去りました。
15日に行われた通夜には蜷川さんにゆかりのある
芸能人が多数訪れ、最期の別れを惜しみました。
また、16日には告別式が行われ、俳優・平幹二朗さん、
大竹しのぶさん、吉田鋼太郎さん、小栗旬さん、藤原竜也さんら
5人が弔辞を読みました。
度の方も名匠との別れに、参列者たちもショックを隠し切れない様子。
参列者たちからのコメントをご紹介します。
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通夜への参列者
藤原竜也 | 木村拓哉 | 吉田鋼太郎 |
宮沢りえ | 北大路欣也 | 松本幸四郎 |
内野聖陽 | 阿部寛 | 堤真一 |
筧利夫 | 尾上松也 | 綾野剛 |
東山紀之 | 木村佳乃 | 菅野美穂 |
中嶋朋子 | 満島ひかり | 多部未華子 |
溝端淳平 | 本田博太郎 | 寺島しのぶ |
亀梨和也 | 上田竜也 | 森田剛 |
三宅健 | その他多数 |
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参列者たちからのコメント
鈴木杏
「感謝の気持ちを伝えたんですけど、まだ実感がなくて、
これからいろんなことを思い出していきたいです。
蜷川さんから言われたこと、ずっと見ていた背中や
怒っていた時の顔も、うれしそうにしてくださっている時の顔も
思い出しています。
たくさん叱られて、一番最後の劇は
『杏ちゃんの動きが悪い』って言われて、
本当に蜷川さんの求めているものに追いつくので必死でした。
本当に何でもなかった私に、たくさんの世界や物語、
思想、生き様を見せてくださった。
そのひとつひとつを感謝してもしきれないくらいです」
溝端淳平
「厳しい言葉をたくさんいただきましたが、
役者を育てようっていう思いが根底にあった。
もっと叱ってほしかったし、
もっと成長した姿を見せて恩返ししたかったので残念です。
蜷川さんにげきを飛ばされたこと一生忘れません」
AAA・西島隆弘
「お会いした時に『お前は早く音楽やめて、
俳優の世界に来い。人生の荒波に出合った時は、
俺が全力で守ってやるから』って言っていただいたのが、
とても印象に残っています。
(次回作は)物理的にスケジュールが合わなかったので、
悔しいですね。
言葉一個一個がすごく重たくて、大きくて、
でもすごく優しくて…。
言葉は届かないかもしれないですけど、
まだまだ僕も頑張るんで(天国から)見てくださったら…」
本田博太郎
「僕が無名の時に世に出してくれた、命の恩人です。
一言では言えませんが、感謝しかありません。
思うように芝居ができない時は、
(印象に残った言葉は)『毅然としてやれよ』ということでした。
心の底から感謝です」
西岡徳馬
「40数年一緒にいたので、蜷川さんからは
『徳馬は戦友だからな』って言ってもらってました。
だから、戦友が壮絶な戦死をしたという感じです。
病状が芳しくないと前から伺っていましたが、
最期まで現場で走り続けて立派でした。
前に『何で、そんなに仕事するの?』って聞いたら、
『ただのジイさんになるのは嫌だから』って言ってました。
だから、僕も蜷川さんみたいに自分がやめるっていうまでやりたい」
告別式での弔辞
平幹二朗
「とうとうこの時が来てしまいました。
『ハムレット』のけいこ初日、やせ細って車いすに座る
あなたの声の弱々しさに胸が震えました。
でも、だんだんけいこが積み重なって、その内、
とても大きな声で怒鳴りちらすあなたの姿に
パワーが蘇ってきているのかとうれしく思っていたのに…。
(中略)充実した演劇人生を生きることができました。
本当にありがとう」
大竹しのぶ
「こうしている今も私は蜷川さんに出会えた喜びと
感謝の気持ちしかありません。けいこ場に響き渡る怒鳴り声。
他では決して味わえることのできない心地よい緊張感。
いい芝居をしたときに見せてくださるあの最高の笑顔。
それらはこれからの私の演劇人生の中で
色褪せることなく輝き続けることでしょう」
吉田鋼太郎
「蜷川さんはずっとずっと戦い続けて、
まだベッドの上で戦おうとしていました。
僕には到底できないことだと思いました。
棺にお入りになってからの蜷川さんのお顔をまだ見ていません。
ベッドの上で戦う蜷川さんを目に焼き付けておきたいと
思ったからです。
でも、とても安らかで美しいお顔をしていると聞いています。
(中略)もう少ししたらそっちにいきます。
一生に芝居を作りましょう。もうちょっと待っててください」
小栗旬
「見たことのない数々の景色に連れて行ってくれて、
信じてくれてありがとうございました。
今、僕がこの場所に立っているのは、間違いなく
蜷川さんの劇団の一員にしてもらったおかげです。
まだ僕はちょっと若いので、会いにいくのは
しばらくかかってしまいますが、僕が会いにいくまでに
そっちで新しい『ハムレット』の演出を考えていてください。
その日に『ダメになったな~』と言われないように僕は僕で、
こちらで苦しんでみようと思います。
でも不安だから時々でいいからこっそり夢にでも叱りに来てください」
藤原竜也
「蜷川さん、悔しいでしょう、悔しくて泣けてくるでしょう。
僕らも同じですよ。もっと一緒に居たかったし、
仕事もしたかった。たくさんの先輩方、同志の方々が
たくさんきてますね。
蜷川さんの直接の声は、もう心の中でしか聞けませんけれども、
蜷川さんの思いをここにいる皆でしっかりと受け継いで
頑張っていきたいと思います」
世界のニナガワ 祭壇は「紅白」
http://www.oricon.co.jp/
蜷川さんの祭壇は白い菊、カーネーションに深紅のバラと、
珍しい紅白に彩られていました。
遺影は娘・美花さんが撮影された昨年の
「NINAGAWAマクベス」公演時のもの。
マクベスは蜷川さんを象徴する作品であり、
父も喜んでくれるはずと語る美花さん。
真っ赤な月を背景に写された勇ましさを感じる
蜷川さんに多くの参列者が別れを告げていきました。
数々の作品の演出を手掛け、その名を世界にとどろかせた
蜷川さん。
今まで本当にお疲れさまでした。