「11PM」などの人気番組の司会者として活躍されていた
タレント・大橋巨泉さん。
7月12日に82歳で人生の幕を下ろされました。
約11年に渡る長いがんとの闘病生活を戦い抜いた大橋巨泉さんの
生前のご活躍についてまとめてみました。
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ジャズ評論家からテレビ司会者へ
大橋巨泉(本名:克己)さんは1934年、東京府東京市本所区
(現:東京都墨田区)に誕生。
祖父の大橋徳松さんは江戸切子の名人として知られています。
小学生の頃に自宅で叔父のジャズレコードを見つけたことによって
アメリカへの興味を持ち英語を学び始め、早稲田大学政治経済学部新聞学科へ進学。
当時ブームだったモダンジャズ、コンサートの司会者活動を始めます。
また、「巨泉」という芸名は在学中に俳人活動を行っていた際につけたもの。
アイディアが泉のように湧き出ることを願い最初に浮かんだのは「大泉」でしたが、
それでは名字と名前の両方に「大」がついてしまうため、自らが大の巨人ファンで
あったことから「巨」に変更。
こうして「大泉巨泉」は誕生しました。
大学を中退後にマーサ三宅さんと結婚し、実家が経営するカメラ部品取扱店
大橋商店に勤め始めますが、すぐに退職。
ジャズ喫茶に出入りするうちにジャズ評論家・放送作家から
テレビ司会者へと進出、同じく放送作家出身の前田武彦さんと
人気を二分し、「巨泉・前武のゲバゲバ90分!」で司会を務めます。
その他「11PM」「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」など
多数番組の司会を務め、司会者として名を挙げました。
1990年、56歳の時に出演していたすべてのテレビ番組を降板。
「セミ・リタイア」を宣言してゴルフやジャズなどで余生を楽しむことを望み、
1年の大半を海外で過ごす生活に入りました。
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政界への進出、そして闘病生活
そんな巨泉さんは2001年に民主党から立候補し当選。
しかしその後党との意見の食い違いからわずか6か月で辞職することに。
その4年後2005年に胃がんが発覚し、手術を行いますが、
その後2013年には中咽頭がんを発症、2014年にはリンパに腫瘍、
2015年には肺がん手術を受けるなど、巨泉さんの体を病魔が蝕みます。
最初のがん発覚から約11年、闘病生活を送りながら、
度々芸能活動も行っていた巨泉さん。
今年2016年2月には永六輔さんとともに「徹子の部屋」へ
出演をされていました。
黒柳徹子さんを含めたお三方とも同年代での収録。
巨泉さん、永六輔さんともに最後にテレビ出演された番組となりました。
そして7月12日、入院先の病院で永遠の眠りにつきました。
妻・寿々子さんのコメント全文
この度は夫・大橋巨泉の逝去に当たり何かとご配慮をいただき、
誠に有り難うございました。
本来は、私がインタビューをお受けするべきかとは存じますが、
結婚以来47年、何処に行くのも、何をするのも一緒でという
生活を重ねてきたのでいまだに心落ち着かず、
皆様から優しい言葉をかけられるとすぐに涙で声が詰まり
お話しできなくなります。
そこで失礼な事は重々承知しているのですが、
このコメントをインタビューに代えさせていただきたく
お願いいたします。「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ!”をあげて下さい」
皆様方も良くご存知のように夫は自他共に許す
“わがまま”と言われ、痛い事やつらい事、待つ事、
自分の意に染まない事は“避けて通る”というわがままでした。そんな夫が2005年に胃がんを手術、2013年には
第4期の中咽頭がんで3度の手術と4回の放射線治療、
昨秋には2度の腸閉塞と手術を、そして4月の在宅介護の
鎮痛剤の誤投与と続いても、12日までの約11年間の
闘病生活を勇敢に戦って来ました。
特に4月からの3ヶ月間は死を覚悟し、全てを受け入れ、
一言の文句も言わず、痛みも訴えずに、
じっと我慢をしてくれました。先生からは「死因は“急性呼吸不全”ですが、
その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も
含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の
過剰投与による影響も大きい」と伺いました。
もし、一つ愚痴をお許しいただければ、最後の在宅介護の
痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです。病状ですが、5月までは希望を持っていましたが、
6月には体力の衰えが見えて、7月に入ると眠っている時間が
長くなりました。
それでも娘や孫達の見舞いを受けるとニッコリと笑顔を
見せていました。
その頃には会話をする気力もなく、頷いたり、手を強く握ったり、
目元や口元の動きなどで意思を伝えてくれました。そして最後は眠ったまま静かに旅立ちました。
たぶん、若くして亡くなった大好きな母親の迎えを受けての
旅立ちだと思います。
それから永六輔さんの訃報は、ショックの大きさを考えて
伝えませんでした。
素晴らしい看護スタッフに恵まれて、本人ともども心から
感謝をしています。そして何度も電話や手紙で励まして下さいました
多くのファンの方やご友人と、優しい大橋家の家族たちには
改めてお礼を申し上げます。最後に孫の言葉を添えさせていただきます。
「ジージ、これからはただで何処へでも飛んで行けるね!
ニュージーランドでもカナダでも、でもバーバの側にも
いないとだめだよ!」2016年7月20日
大橋寿々子
巨泉さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。