8月29日に行われた「全日本実業
柔道個人選手権」。
そこに登場したのは、男子柔道
60キロ級で史上初となる
オリンピック3連覇を果たした
野村忠宏選手。
今大会限りで引退を表明していた
野村選手は、1回戦、2回戦を
一本勝ちで16強入りしましたが
3回戦で一本負けを喫し、
柔道に明け暮れた現役生活に幕を
降ろしました。
それでは、野村選手のこれまでの
活躍を振り返ってみましょう。
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柔道一家に生まれた野村忠弘
野村選手の祖父は奈良県にある
「豊徳館野村道場」の師範。
父は、ロサンゼルスオリンピック
金メダリスト細川伸二らを輩出した
天理高校柔道部の監督をしていました。
さらに叔父はミュンヘンオリンピック
金メダリストの野村豊和、
兄も豊徳館野村道場でコーチを
務めており、幼少のころから
柔道に囲まれた生活を送りました。
164cmと小柄な体格の
野村選手、しかし技の切れや
スピード、天性の守りのカンに
優れ、「小さな巨人」との異名を
持ちます。
また、背負い投げが得意なことから
「平成の三四郎」と呼ばれることも。
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日本人初の五輪3連覇
1996年、アトランタオリンピックで
男子柔道60kg以下級に参加した
野村選手は、初出場でありながら優勝!
当時まったくの無名だった野村選手の
優勝は、日本全国を驚かせました。
その後、1999年始めに出た大会で
左ひざ靭帯を損傷し、半年ほど
柔道を離れることに。
怪我を乗り越えた2000年、シドニー
オリンピックにて再び金メダルを獲得。
この年の10月、緊急叙勲として
銀杯一組を贈られています。
そして2004年、オリンピック
3度目の出場となるアテネで
またもや優勝を勝ち取り、
柔道史上初・日本人初となる
オリンピック3連覇を達成しました。
この偉業を達成した2004年から
翌年にかけては天理市の市民栄誉賞を
始め、紫綬褒章など様々な賞を受賞。
「野村忠宏」は今や日本柔道になくては
ならない人となりました。
現役引退を宣言
アテネ以降は試合への出場がなかった
野村選手ですが、2006年には
北京オリンピックでの4連覇を目指す
ことを宣言。
しかし、その翌年2007年に
右ひざの靭帯を断裂してしまい、
怪我をかばいながら選抜戦に
参加するも、準決勝で敗退。
北京への出場は叶いませんでした。
その後も2012年のロンドン
オリンピック出場を目指すも
叶わず、日本テレビのスペシャル
キャスターとして登場。
そして2015年8月24日、
公式サイトにて8月29日の
「全日本柔道個人選手権」を
最後の大会出場とし、現役を
引退することを宣言しました。
引退を決意した理由は「長年
酷使した体が限界」と語り、
自分自身が納得のいく柔道が
できなくなっていると、辛い
胸のうちを吐露しています。
最後の大会は1、2回戦を
一本勝ちで勝ち上がり16強に
入りましたが、続く3回戦で
椿龍憧選手に腰車で一本負け。
3000人の観客から拍手を
浴びながら、野村忠宏の
柔道生活は幕を閉じました。
数々の熱い試合を繰り広げ、
日本人の心を熱く揺さぶってきた
野村選手。
彼の意志を継いで日本柔道界が
これからも広がりを見せることを
期待するばかりです。