5月5日、シンセサイザーを使用した電子音楽の
第一人者・音響作曲家として広く知られる作曲家の
冨田勲さんがこの世を去りました。
2012年にはヴァーチャルシンガーをソリストに起用して
「イーハトーヴ交響曲」を公演するなどして話題になりましたね。
冨田さんのこれまでを振り返ります。
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作曲家・冨田勲の軌跡
1932年、東京都で生まれた冨田勲さん。
父の仕事の都合で幼いころ中国で暮らしていた経験もあり、
この時期父とともに天壇公園で回音壁の音を聞いたことが
のちの音楽家・冨田勲誕生の原点となったそうです。
帰国後は小中学校時代を愛知県で過ごし、この頃は
竹笛を手作りして吹いて遊んでいたという冨田さん。
独学で作曲を行っていましたが、高校2年生からは
作曲家の平尾貴四男さん、小船幸次郎さんらに師事し、
さらに音楽への理解を深めていきます。
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転機となった合唱コンクール
慶応大学へ進んだ冨田さんは、朝日新聞社主催の
合唱コンクール課題曲へ応募。
そこでめでたく1位を獲得し、そこから本格的な
作曲家への道を歩み始めます。
その後はNHK大河ドラマ第1回作品「花の生涯」、
「新日本紀行」、「きょうの料理」のテーマ曲など数々の
作品に携わった冨田さん。
なかでも漫画家の手塚治虫先生からの信頼は厚く、
「ジャングル大帝」、「リボンの騎士」などのアニメ主題歌も
任されています。
シンセサイザーとの出会い
冨田さんがシンセサイザーと出会ったのは37歳のころ。
大阪で訪れた輸入レコード店で、モーグ・シンセサイザーを使用した
「スイッチト・オン・バッハ」を聞いて感銘を受けた冨田さんは
その頃まだ米国で開発されたばかりだったモーグ・シンセサイザーを個人輸入。
当時の価格は6,000ドル(1ドル=360円で216万円)と、
非常に高価なもので、お金を工面するのにとても苦労したそうです。
そうしてゲットしたモーグ・シンセサイザーを使用し、
それまで日本になかった電子音楽を広めていった冨田さん。
全パートの演奏と録音を一人で手がけたアルバム「月の光」や、
「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」といったクラシックの名曲を次々に
シンセサイザーで現代的な響きに生まれ変わらせていきます。
冨田さんの音楽は海外でも広く受け入れられ、日本人では初めて
米国のグラミー賞へとノミネートされるなど大きな話題となりました。
常に最先端
晩年まで音楽活動の手を休めることなく活躍し続けてきた冨田さん。
2012年に行った、宮沢賢治作品をモチーフとした「イーハトーヴ交響曲」の
公演ではヴァーチャルシンガー・初音ミクをソリストに起用するという
前代未聞の全く新しい公演を行い、私たちを驚かせてくれました。
初音ミクを歌わせ踊らせる既存のプログラムから、さらに臨場感あふれる
公演が行えるようにプログラムに改良を加え、演奏との一体感を生み出した
素晴らしい公演となりました。
先駆者でありながら、日本の音楽界に新しい風を送り続けていた冨田さんは
2016年5月5日、都内の病院にて慢性心不全のため84歳で永遠の眠りへ。
冨田さんは「イーハトーヴ交響曲」に次ぐ新作「ドクター・コッペリウス」を
制作中だったとのことで、その新作がどこまで完成されており、
今後発表されるのかは定かではありません。
冨田さんの残された最後の作品、ぜひとも聴きたいですね。
ご冥福をお祈り申し上げます。